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関連・交流 活動帳簿 纏 はじめ

『纏』と『お会式』について

● 纏とは

 纏「まとい」は、近世においては、戦陣の大将のそばに立てて指揮官の居場所を明示する武器であったが、江戸時代になると火消しの(消防夫)のしるしとなり、火事のさい消し口の要路にまといをたてたとされる。要するに気っぷのいい、いなせな江戸火消しの象徴が「まとい」であった。そのまといを、日蓮聖人の命日であるお会式に登場させているところに、当時の人びとの日蓮聖人観がにじみでているといえよう。
 お会式には万灯をささげ、フエで調子をとり、カネ・太鼓をたたき、「まとい」をふってにぎやかに参詣するのがふつうである。
 しかも“ここはいけがみ ほんもんじ チン チキチキ チンチキチ “まんど まんどサッサ まんと゛サッサ と、お会式特有のハヤシにあわせて、浮かれながら、活気をおびて参詣する。
 むかしは、“一貫三百 どうでもいい、まんど まんどサッサ まんどサッサ と掛声をかけ、ウチワ太鼓をたたきながら参詣にくり出す人でごったがえしたが、ここでいう「一貫三百」とは、当時の職人の日当だそうである。換言すれば「一日分の給料をフイにしてもお参りしたい」という意味になるわけである。



● お会式の意味

 「お会式」とは、日蓮聖人の忌日に修する法会のことです。お会式は御命講、御影講とも称され、お祖師さま日蓮聖人を賛仰する庶民によっておこなわれてきた仏教行事でもあります。
 建長五年(1253)四月二十八日、はじめてお題目をおとなえになってから、流罪、死罪におよぶ大難四ヵ度、さらに無数の小難を受けながらも、私たちにお題目の信仰をうえつけ下さったお祖師様日蓮聖人は、今から七百年前の弘安五年(1282)十月十三日の午前八時頃、今の東京池上にて、御年六十一歳でご入滅なされました。
 そのとき、大地は震動し、秋だというのに時ならずも桜の花が先ほこったと伝えられています。そして翌十四日ご葬儀、十五日には池上で荼毘の式をあげ、「墓は身延にたてよ」と言うご遺命によって、身延山にご聖骨は納められまとた。
 それ以来、毎年日蓮聖人のご命日には、弟子信者たちが法要を営み、報恩儀式をあげ、命日やその前の晩、つまりお逮夜の法要を現在では「お会式」とよんでいるのです。夜空のくらやみを除くように万灯をおしたてて、これにお題目や皆帰妙法などの文字を書き、ウチワ太鼓うちたたきながら唱題の大音声をとどろかせるお会式のありさまが示されています。



● 万灯のいわれ

 江戸時代に、身延や池上か江戸に出開帳(素師像や宝物など出帳すること)したときに、それぞれの信者たちのあつまりである講中の名を書いた提灯を竹竿にいくつも並べてかけ、ちょうど秋田の竿灯のようにして出迎えたのがはじまりとされています。一本でも万灯といっていますが日本でもすでに千五百年も前に東大寺などで、罪障を懺悔するために一万もの灯を燃やして法要を営み、これを「万灯会」といっていました。
 この灯を供養することについては、有名な「貧者の一灯」の話が伝えられています。仏さまに供養するために多数の人々が油を買っては供養していました。ある貧しい女性は、灯を供養したくても油を買うお金もなく、さりとてそのままに過ごすことは心がゆるさないので自分の髪の毛を売って、わずかばかりの油を買い灯明を仏さまにささげました。それは王様や金持ちたちの供養した何千という灯のもとでは、いまにも消えいりそうな灯でした。その夜、にわかに風が吹き出し、次々と灯が吹き消されていきましたが一夜あけてもたった一つ燃え続けていた灯がありました。それは自分の髪の毛を売って供養した貧者の灯であったという話であります。
 まごころのこもった灯は、いつまでも消えることなく、人々の心を照らすということです。お会式の「まんどう」は、一灯でも万灯というように、日蓮聖人のご報恩のためにささげるまことのご供養の一灯という意味がこめられています。
 万灯のまわりに美しく垂れさがっている紙の花は、「御祖師花」ともいわれ、日蓮聖人がご入滅になられたとき池上家の庭の桜の木が時ならぬ花を咲かせたという伝えによって桜の花をなぞらえつくられています。


【祭宮治のページ】より



● 纏の由来
 戦乱のうち続く時代に、戦場におもむいた武将が、敵と区別するために馬印したのがはじまりと伝えられています。後の時代になってからは、江戸に詰められていた諸大名の屋敷などで、消防活動のシンボルとして、纏に定紋を刷り込み、江戸中期には、大岡越前守忠相らによって、八百屋町の消防体制確立のため、町火消が創設され、思い思いの頭飾りに工夫をこらして、他の番組と判別していました。


● 町火消の纏

 消火活動における各番組の纏は、町火消の階級(6段階あった)で頭取・組頭について纏持ちが位置付けしており、番組の象徴として大切に扱われ、かつ、火事場へ先陣を切っていました。
【江戸時代の火消形態】
幕府直管の「定火消」、大名所轄の「大名火消」、民営自治の「町火消」に分けられ、町火消は1番から10番(4番・7番は江戸の語感が類似するため除く)の8組を、いろは48に分けて、防火体制をとっていました。


【鳶よもやま】より